《Rhythm space #8》について
概要分:
本シリーズは複数のソレノイドユニットにより構成された作品からなる。今作では、リズムというテーマとともに、展示空間における水平・垂直とマテリアル、他者性の問題を引き受ける。
今回行おうとしたことは「千住キャンパス構内のプロジェクトルーム内の物品を使い、サウンドインスタレーションを制作する」ということでした。
プロジェクトルームというのは、自由利用をもとに、慣習的に音環の学部生各学年がそれぞれ部屋の半分を「所有」している空間のことです。
その空間内におかれた物品は、千住アートパスという展示の際、第5講義室という場所にまとめて収納されます。
それは、展示空間において不要な物品を「隠し」「撤去する」ということです。
この行為そのものが、私にはある種暴力的に思えたのです。
《Rhythm space》シリーズは、ソレノイドによるオブジェクトの打突をもとに打楽器的に音を発するサウンドインスタレーションです。
この打突が、オブジェクトにとっての「暴力」であるということが、制作を続ける中で私の中に思いとして現れました。
音として発されるエネルギーは物質(または電力)を消耗します。
往往にして、この消耗に対して無自覚的であるということが、私にとってはとても暴力的に思えたのです。
考え続けた結果、この無自覚な暴力性は、インターネットやテレビ番組といった各種メディアを通して知る国際問題への(特に日本社会における)無関心さと繋がるのではないか、という点に至りました。
そもそも、作品を(殊にモノ的な)制作するということは、既にあるものを制作へと消費し、この有限な地球における空間(データを含む)の占有に他なりません。
作品を破棄しない限り、この問題が解決されることはありません。
さらにこの問題は墓地において、強く現れます。
近年日本の中において急増する「墓じまい」という現象があります。
墓じまいとは、血縁という制度においてその一族が代々受け継いで来た墓を、管理者不在という事由によって取り壊し更地にする、という行いです。
日本の石材専門店では墓に関して、現在この業務を請け負うことが、墓石を作るよりも増えてきた、という流れがあります。
私は生まれてから大学に入学するまで、宮崎という地で過ごしてきました。
両親と姉、父方の祖母の5人で暮らしてきました。
私の実家は宮崎にありますが、父と母の実家は熊本にあり、桒原家の墓は熊本県人吉市にあります。
桒原家を継いでいるのは、様々な理由から私の家族のみです。
しかし、現状私に加えて父と姉が東京でそれぞれ一人暮らしをしている(これからもする予定である)ということから、2020年内に、一家ごと、東京に引っ越してくることが決まりました。
つまり、桒原家の墓から桒原家一族が、距離的に遠く離れるということです。
恐らく、私の一族においても先に挙げた「墓じまい」の問題がいずれ自分ごととなります。
ツイッターやフェイスブックといったSNS的メディアは、一定期間使用されていない(所有者が死んだと思われる)アカウントを「追悼モード」にする、という潮流があります。
しかし、恐らくこの先10年20年経てば、それらのメディアは消滅し、その「追悼モード」に変更された一種の「墓」も同時に消滅することでしょう。
インターネットというデータ共有空間における「墓じまい」です。
現に、Yahoo!ブログが2019年12月15日に閉鎖しました。
そうなれば、誰が何を供養していると言えるのでしょうか?
現代を生きている私たちは、4000年前に死んだ私たちの祖先を供養しません。
彼/彼女はもはや、顔も知らず名前も知らないただの「他人」です。
私たちもいずれ、そうなります。
しかし、バッハは、今なお供養されています。
つまり人類の歴史に名を残す行為は、この先人類の中に「墓」が残り続けることです。
そうした思いの一片が、今作《Rhythm space #8》の制作意図に含まれています。
千住キャンパス構内における一種の「ゴミ(今後捨てられ消滅するもの)」を、作品として現象的に昇華し、供養する行為です。
今作において使用された木材、故障した電源ドラム、ソファ、ファミコン、ブラウン管テレビなどは、今後何らかの経緯を経て、廃棄されます。
ひいては、ソレノイドも廃棄されます。
この廃棄される物品たちを、サウンドインスタレーションという「一時的な」作品において供養しようとしました。
個人的な理由から、作品を公開したのはわずか三時間でしたが、ご覧いただいたすべての皆様は、この「葬儀」に立ち会った方々です。
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
そして、この制作は引き続き行われていきます。
それはひとえに、人類が物質的資源を消費し続ける限り、可能です。
形は変われども、再びこの意志をもとにした作品をご覧いただく機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
桒原幹治 2019.12.16