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リズム1

 リズムにとって重要なことに、「一瞬先の状態を把握する」という作用がある。未来予知と言ってもいい。

 まず、リズムは「質的なかたちを為す運動現象」だとする。つまり、仮想的で外的な何かしらがある形を描くように運動している、ということだ。(仮措きしたこの前提自体は僕の中でまだ揺らいでいる。以前出した『リズムのための試論』にも書いているけど、リズムが現象なのか、それとも知覚して初めて成立する感覚なのか、まだどちらの立場で考えるかを決めあぐねている。リズムが感覚であるなら、「質的なかたちから来る運動感覚」としたい。)

 そして次の段階として、その外的な運動に自分の身体感覚で同調すること、いわゆる「リズムにノる」ということが可能になる。リズムにノっていれば、その外的な運動がどう動いてきたか、そしてどう動いていきたいかを、わずかな時間の幅をもった一瞬=現在の中で感じられる。この「どう動いていきたいか」という感覚/気持ちが先の「一瞬先の状態を把握する」ことを実現する。例えばクラブで音楽にノっているときに「ドロップがくるぞ…!」と思うことや、キャベツを刻んでいるときに自然と押さえている手を移動させることが、この把握だろう。ちなみに僕はよく踊る。ランナーズハイと呼ばれる感覚も、会話が弾むということも、等しくリズムにノっている。和声に習熟した人が次にくる和音を頭の中で既に聴いている、ということも、リズム的な現象と言って差し支えないだろう。リズムの語源が「rhein 流れる」であることからも、リズムを感じることやリズムにノることは、流れに身をまかせること、もっと言えば流れそのものになることだ。

 (もちろん、リズムそれ自体に一定以上の速さが必要であることはない。とてもゆったりと流れる雲の動きや、もはや感じることのできない地球の自転、特に変化のない換気扇にだってリズムを感じることはできる。)

 逆に、リズムにノっているときこそ、裏切られた際の印象は非常に強くなる。チェンソーマンのページ構成だって、ラブコメの唐突なキスシーンだって、もう一段階段があると思って踏み込みすぎちゃうときだって、印象深い。びっくりするし。びっくりするといえば、ホラーについて考えたことがなかったな。ホラーゲームしかり、ホラー映画しかり。この前養老孟司さんの講演動画をみていたとき、「正体のわからないものに対する不安は、正体がわかると恐怖になる」と言っていて深く納得したことがあった。恐れ多くも付け加えるなら、正体がわかる過程そのものが与えてくる恐怖というものもあるだろう。「わかりたくないけど否応なく現在進行形でわかり始めている」状態の恐ろしさよ。話が脱線している。今日のところはこれくらいに。

​2021/06/27

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